2017年04月29日

『神代の言の葉カード』22 倭建命

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こんにちは、深禮です。

四月ももう終わりですね。

ところで、、

東京都神社庁が毎月出している

「生命の言葉」があります。

今月は

「慎みてな怠りそ」

です。

これは『古語拾遺』にある言葉で

伊勢の神宮におられた倭姫のもとに

東征の途中立ち寄られた倭建命にお授けになった言葉です。


「生命の言葉」の裏面の解説を引用しますと。。

「気持ちを引き締めて油断しないでください」と
いう意味で

東夷の討伐に向かう日本武尊に草薙件を与える際に添えられたお言葉。

とあります。


実は

私が解説とメッセージを担当させて頂いた
『神代の言の葉カード』の
倭建命のページに
使わせて頂いた言葉でもあります。


『神代の言の葉カード』は

ご神名の次に
言葉や和歌が添えられていて
解説があって

神々からのメッセージが
書かれている形式になっています。



このカードが出てきた場合

例外なく
みなさま
今とても苦しい状況にあって
それに真っ正面から取り組んでいらっしゃいます。

遠い目標
その高く掲げた目標だけを見つめて

一つ一つの事柄に惑わされず

そこに向かうという意思と決意を固めて歩んでゆくように

という励ましのメッセージを

くださっていることが多いです。

ガイドブックで書いている
メッセージは

「ただ堪え忍ぶのではなく
大きな目的を持って進め
その目的を果たすために、今どう生きるのかを考えるのだ
そうすれば長く 険しい道も
きっと切り開いて進むことができる」

というもの。

ご相談やセッションでは
個別のメッセージをさらに取り直して
お渡ししています。





このカードのガイドブックを担当することになって
一柱一柱の神さまのお言葉をお預かりするために
各地のお社をまわらせていただきました。

当時は東日本大震災のすぐ後で
余震などもまだ懸念され
人の心も不安定な時期でした。


わたしなりに必死の思いで

今このカードを手にしてくださる方々にとって
必要なお言葉をお預かりさせてくださいと
ひれ伏すような思いでまわらせていただきました。

実際
ひれ伏していましたが(笑)


時には
おなかがすきすぎてメッセージが聞こえなくて
拝殿で御祈願させていただいたり、、

色々なことがありました。



できあがっても
決して表に出たくなくて
プロフィールにもほとんど自分のことは書かずにおきました。


でもだんだんこのカードがあらわすエネルギーの意味も
感じられてきて

少しずつ表に出るようになりました。


当時より
今の時代方がこのカードのエネルギーを
受け取りやすくなっているのかもしれません。


これからも
少しずつ内容をご紹介してゆきたいと思います。

posted by 明日処 at 18:47| 神代の言の葉カード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

痛みを受け入れる

今 絶賛 自分と向き合い中です(笑)


どうして そんなに周囲と壁をつくるのか
そんなプライドは必要ない

と指摘され

そのことを考えている中で


壁の原因を思い出しました。


わたしが周囲と壁をつくった時期を。

それは高校入学と同時でした。

実をいえばもっと前からなのですけれど
はっきり創ったのはその時です。


それまでいつもにこにこして冗談ばっかりいって

「いつも何も悩みがなくていいね」


「Aちゃんは繊細だから助けなくちゃいけないけど あなたはほっといても大丈夫」

と言われるような存在でした。

でも実際には

とても大きな問題を抱えていました。


高校に入学し環境が変わると同時に無理をするのはやめることにしたのです。


一日中誰とも口をきかない日もありました。

その方が楽だったのです。

親しくなれば

話さなければならなくなる

でも話したところで

同世代の子や学校の先生には絶対受け止めきれない

そういう確信があったから

壁をつくることで

自分を

そしてたぶん

周囲の人をも

守ろうとしたのだと思います。


たぶん私から相談されても

みんな絶句するか逃げるかだろうな、、

わたしが傷ついていることを知れば

まわりが傷つく と思っていましたので

相談はできない、そんな考え方でした。



一人でそれに耐えるために

あらゆる感情を切り離して

まったく傷つかない人を完璧に演じていました。

当時わたしの周囲は

すざまじいまでの感情のあらしで

わたしが「傷つかない人」であることを

責められることもありましたが

その嵐の中で

誰かがその役割を演じなければならなかったと思います。

わたしは 傷ついたりショックを受けたりしてはいけない存在でした。

実際には

その時だけで無く

ほんとうに長い時間その役割を演じていたのだと

今は思います。


感情を切り離すことは

生き続けるためには 必要なことでした。

終わりの見えない

混乱と

怒号と

。。。。

救いのない 冷たい暗黒の時間

それが奇跡的に終わり

なんとか問題がクリアできたとき

わたしは

どうやったら笑えるのか

どんなときに泣けばよいのか

まったくわからなくなっていました。

それは 数年間 続いたと思います。





今だったら

もし相談していたら 

当時の女子高生なりに

なんとかわたしの力になろうとしてくれた子も

いたかもしれません。

対処できないなりに

先生も手を貸してくれたのかもしれません。

しかし 当時はそんな余裕はまったくありませんでした。


今振り返ってみても

たぶん 実際には誰も私の力になれる人はいなかったと思います。

でも 問題の性質上 それは仕方がなかったことです。



今、そのころ切り離した感情を

もう一度感じて

解放することを続けています。

こんなにも深い傷が残って居ることに

気がつくことができて良かったと思います。


しんどいときほど

へらへらしているのが私なので

結構大丈夫です(笑)


これをわたしが乗り越えれば

きっと誰かの 力になれると思います。

これを乗り越えれば

わたしの痛みはわたしに深みを与えてくれます。


その深みはきっと誰かの役にたてると思います。


悲しみも怒りも 涙も痛みも

皆受け入れて

先にすすんでゆく


そうしなければ

個は越えられない。

越えなければ

わたしは私の全体性とつながれない。


つながれなければ

わたしは私の役をはたせない から


かならず 乗り越えます。



今 しんどい方もいるかもしれません

それはきっとあなたのためのギフトだと思います。


どうか祝福を受け取れますように。










posted by 明日処 at 08:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月27日

個の意識を越えて


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こんにちは、深禮です。

先日来なんとなく座禅を再開するようになっておりまして

それで なんとなく思い出したことを書いてみようと思います。

わたしは 病気が見つかる少し手前で

ある座禅の先生と出会いました。

その方は 師匠から見性を認められた方なのですが

わたしはあまり座禅について詳しくないので

その方から聞いたお話です。


簡単にいいますと、、

座禅が深まってくると

まわりのすべてと自分の境界線がなくなる 
というお話を聞いた記憶があるのです。



在るときのこと

その先生のお師僧さまとご面談させていただく機会がございました。、

もちろんわたしだけでなく 他何名もの方々が
ご一緒でした。

でも
わたしがお目にかかるのが初めてだったためでしょう、、

お師僧さまとお話できるように

先生が少しお話を振ってくださったのですね。





その面談の際にはすでに私は病気が見つかり

身体によいものを、と
色々試している時期でした。

当時もこうしてブログを書いていまして

身体をあたためる野菜のスープがおいしい、と書いたのです。
面談の数日前に。。。


すると、、
お師僧さまが

海外の教会でふるまわれた野菜のスープがおいしかった
と急におっしゃったのです。

わたしの座禅の先生が
ドキっとされたのが手に取るようにわかりました。

わたしは先生に自分がサイトを持っていることや
ブログを書いていることは伝えていませんでしたが

わたしのメアドからそれらを見ているだろうと
以前からなんとなく感じていたのです。

当然わたしのブログの記事も読んでいらしたようで

偶然にお師僧さまが「野菜のスープ」と
突然おっしゃったことに驚かれたのだ
ということが一瞬でわかりました。


でも、、

そんなのあたりまえなんですよね。

だって意識は繋がってますから。


そこで
わたしも確か
「身体があたたまりますし、野菜のスープはおいしいですね」
などという感じで
返答したと思います。

お師僧さまが わたしのデータをお読みになったのもわかるし
わたしがわかっていることを
お師僧さまが感じておられることもわかりました。

(座禅の先生が
わたしの返答にも驚いておられたようで
ちょっとおもしろかったのですけれど。。)


その後も少し会話を続けたのですが

座禅の先生の心の声が大きくて。。。

もうちょっと小声でしゃべってほしかったです(笑)

やっぱり
座禅を続けていると
雑念がないので
心の中の声が大きく聞こえちゃうんです。
仕方ないんですけれどもね。


でも、先生の心の声のボリュームが大きいお陰で
偉い方との会話の最中、
そそうすることなく会話が続けられて良かったですけれど(笑)


こういうことは 別に不思議なことでも特別なことでもありません。


他にもたとえば、、

身体が周囲の事物とつながっているという感覚を強烈に感じた体験があります。

それは一度はヒプノセラピーの時。


もう一度は

朝の滝行で滝に向かうとき。

この時はある習慣をずっと続けていたので
そのせいだと思います。

身体の枠を越えて
外の事物が自分の中に入り
外と内の境界線がなくなって
身体が透明になり
一体となる感覚はとても気持ちがよいです。



そして寧ろこの感覚の方が
自然であり
あたりまえであり
ありのまま なのです。



これからの世界

個の意識で動いてゆくとゆきづまります。

個の感情や思いを越えて

動いてゆくようになります。

それがたぶん標準の意識モードになってゆくと思います。

今は過渡期で

どちらの意識も使っていますが

そのうちに
全体モードに完全に移行してしまうのでしょうね。

個の意識がほどけてゆき

全体の意識から全体を感じる
というのが普通になります。

もちろん この次元だけの意識ではなく
多くの次元と同時につながる感覚です。



数年前からエネルギー上の分岐点が何度もつくられて

わたしどもは皆振り分けられています。

意識の広がりぐあい 重さ 軽さ

どれだけ魂とつながっているか などなど。


すべては 自分の選択しだい。

全て自分の意識が世界の中心にあって

昨日と同じ世界にいるような気がしても


同じではないかもしれません。

同じ意識の開き方にあわせて
周囲の方達も変わっていると思います。

うまくいえないのですけれど

簡単にいうと多元宇宙 のような感じなのです。

意識の波乗り のような感じ。

どの世界を選択して

どう世界を創るのかも

一人一人 自然と選択している と思います。


なかなか表現が難しいですね。。


全体として世界が変わるのではなく

次元を選んでいる のではないかと思います。


選んでいるのは 自分。


そんな時代はすでに始まっている気がします。








posted by 明日処 at 16:40| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月26日

奈良セッション募集終了

こんばんは、深禮です。

先日お知らせをいたしました5月1日の奈良セッションですが
募集を終了させていただきます。


今後の関西方面でのセッション日程は未定です。

取り急ぎお知らせまで申し上げます。

ありがとうございました。


posted by 明日処 at 18:52| スケジュール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

山羊座のわたし。。

おはようございます。

深禮です。

以前「しいたけブログ」さんで

「龍系の人」「巫女系の人」という記事がありまして

それを読んでとても面白くて。。

以来たまに

しいたけさんのブログを読ませて頂いているのですが、、

今回のこの「山羊座のドM性」。。

すごく腑に落ちてしまって

思わずご紹介です。

記事はこちら→「山羊座のドM性


山羊座ってですね、本当「最高か最低か」しかないんですよ。

もう、自分が好きなこと、関心があること、

今取り込みたいものに関しては

お金も労力もエネルギーに関しても糸目をつけないし、

興味がないことに関してはそこに一銭の予算もかけません。


ほんと、、その通りなんです。



わたしが好きで関心のある世界はとても狭い領域なのですが

その事について傾ける情熱とか勢いとか

そこにこれだけの熱量を注いでそれが何になるかなんて

まったく考えることもなく

とにかく注ぎ込みまくるわけです。



最高でなければ意味がなくて

さらにわたしの九星気学の星的にも

できるまで努力する

できない、という言葉は必要ない、、

と思ってしまう部分があり。。
(あくまで自分自身に対してだけです)


この偏り感はもう

自分の質であるし

たぶん

これが

「道具」として生きるためには必要な感覚なんだろうな、、と

あきらめていましたが

多くの山羊座のみなさまが

こういう生き方をしているんだな、と思うと
なんだかほっと救われます。



先日書いた滝行の話もそうですが

注ぎ込む力は実ははんぱではありません。

そう、
中途半端が大嫌いなのです。
じつは。。

そうは見えないらしくて

先日
「おまえは中途半端だ」と
いわれたのですけれどもね(笑)

だから
あくまで自分としては、、ということなのですが。。



滝や山や断食は趣味のレベルと書きましたが

それを誤解して

甘いお気持ちでお遊び感覚で

同じ事をされたら

かなり痛い思いをされると思いますので

ご注意くださいね。


『日本思想大系』の第20巻 『寺社縁起』の月報に

「修験道思想史における「諸山縁起」の意義」という
宮家準先生の文章があるのを
昨日掃除をしていてたまたま見つけました。

そこに「修験道は元来験力を獲得することを目的として
山岳修行をおこなった宗教者たちから始まっている。」と
ハッキリ書いてありまして

わたしが「趣味」と書いたのは

このように明確な「験力を得たい」という意識はなく
精神修養を第一の目的として
たまにやっていたレベルだ、という意味で書いたということを
補足した方がいいかな、と思いました。


修行ということについては
また色々思うところあるので別項で書いた方がよいかもしれません。


とにかく、、

自分のこののめりこみ傾向

なっとくしました。

















posted by 明日処 at 07:36| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする