2017年07月11日

お役目を生きるために

こんばんは、深禮(みれい)です。

明日は久しぶりに雨、、でしょうか??

今日も暑かったですね!

最近 夜ビールを頂くようになりました。

ここ数年ほとんど御酒なんて飲まなかったのですが。

たぶん 今年一年で終わる現象のような気がしています。

と、いっても、、、

缶ビール一缶で終わりなのですけどね。
それで十分で。

どうぞ 肩の力を抜いて 読んでみてください。


さて、、
そんなお酒の話題には全然ふさわしくないお話ですけれど。


今 ジャスム・ヒーンさんが来日中でしたよね。

今日までワークショップでしたか??


ジャスム・ヒーンさんと言えば

20年来不食を続けている方で

わたしも リビングオンライトという著作のプロセスに随って
21日間の不食生活を楽しんだことがあります。


その頃ナイトクラスという単発のクラスがあり
そこでお目にかかったのですが

内側から 美しさと輝きがあふれる方でした。。



できることなら ワークショップに参加したかったのですが
諸般の事情でかなわず。。
FBなどで 参加された方のご感想を拾っていました。

ありがとうございます。

その中でいくつか印象に残っていることを
私なりの言葉で
ここでシェアさせていただきたいのですが

まず第一に

食べるか食べないかが大事なのではないということ。

ジャスム・ヒーンさんが大切にされているのは

調和、ということなのだろうと思います。


彼女がナイトクラスでもおっしゃっていたことですが

世界は愛で満ちていて
不食で生きるということは
その神聖な愛を受け入れて生きるということ

なのだ、、と。

愛、、といいますと
なんとなく生臭くて しめっぽくて ぺとぺとしたもの
というイメージの方もおられるかもしれませんが

彼女が伝えてくださっているのは

あなたは わたしであり
わたしは あなたであるということ
そして
世界はプラーナ(=愛)で満ちているということ

その世界観で生きると決めればよい

と、おっしゃっているのかなぁ、、と思います。

ワークショップに参加したわけではないので
ほんとうに推測なのですけれど


でも

プラーナ=愛 だとするなら

とてもわかりやすいです。


たとえば
ご神前に座っていると

好きとか愛しているとかを越えて

魂が震えるような

もう

すべて。。。としか言いようのない

すばらしい ご神気を感じることがありますよね。


あれを
あのエネルギーを愛と呼んでいるなら

命の源

ありてあるもの
それはすべて 愛なのでしょう。

わたしたちは
神さまからの 圧倒的な愛 でいかされている。


そんな 圧倒的な感覚はしらないとおっしゃるなら

神さま 仏様の前にいるとき

心があたたかくなるような

心がほっとゆるむような

そんな心地を味わったことはきっとあると思います。

それもやはり愛というのではないでしょうか。

そのエネルギーを

自ら 内側から発して生きるということ


そして


わたし だけではなく

あなたもわたしであり

すべては一つという感覚の内にいること


そこから生きると決めること

それが

調和への道 なのかな

と思いました。



もしも
愛で満ちた波動で生きると決めれば

すべての飢餓感は消えるのだということのようです。

飢餓感とは

食べ物だけでなく 

精神的 渇望

人と張り合う気持ちであったり あらそう気持ちであったり

不安感

喪失感
そうしたもの全て
ではないかと
思います。

それが消える。

愛で生きるならば。。

もし

深禮の文章は相変わらず
わかりにくいわーーという感じでしたら

たとえば 
女性でしたら 女神(おんながみ)さまとして生きる。


男性でしたら 男神(おとこがみ)さまとして生きる。


それで良いのではないでしょうか。



昨日からそんなことを思いながら
生きていまして

そうすると
たまたま出くわす人 と

なにかとてもやわらかく
すれちがうことができるような
笑顔が増えたようなきがしています。


もしも

ご自分のお役目がわからないとお思いなら
まさに
このことをご自身からなさってみたら良いのだと思います。

女神 男神として生きるということ。


先日ご紹介させていただきました
木花之佐久夜毘売さまのカードのメッセージですが

あれは実は
己の内側を清めなければ
それは自然現象として あるいは政治的現象として
爆発する、
ということを伝えるメッセージです。

2012年発売ですから
東日本大震災からまだ日も浅く
わたしがメッセージをとったのは
2011年の夏でしたから
ちょっと あからさまに メッセージとして伝えられなかったのですが

私たちの
感情や 思考が
自然や政治に
確実に影響を及ぼしているのです。

だから

もし本気で魂の道を歩むと志すならば

内側を清めること

そして
自ら 神さまの愛のエネルギーを
発して生きると言うことを
決めていただきたいのです。


それこそが
この時代に生きる
わたしたち全員のお役目 ではないでしょうか。


posted by 明日処 at 21:33| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月09日

氷川神社さまに御参り

2017-07-09-14-47-39_photo.jpg


こんばんは、深禮(みれい)です。


今日は埼玉県の氷川神社さまに御参りにいってきました。

神恩感謝の御札を納めにいってきました。


こちらのお社も
とっても大好きなお社です。


今は武蔵国一宮とされています。

埼玉県神社庁も隣接しています。

中世に記された
『神道集』安居院著には
一宮は聖蹟桜ヶ丘鎮座の小野神社とされています。

氷川神社が一宮であると
文書上出てくるのは
確か、、、
室町期以降だったように思います。


大国魂神社が鎮座するところが
かつての国衙でしたが

その近くにあるのも
小野神社一宮には
有利だったのでしょう。

いまでも大国魂神社(六所宮)で一宮は小野神社さまですよね、確か。
小野神社さまといえばセオリツヒメ神。
セオリツヒメも古い神さまですね。


氷川神社さまはもちろん式内社で
(確か、、)名神大社だったと思いますが

特に注目を集めるようになったのは
明治以降でしょうか。

明治天皇が京都から行幸された年に
すぐ
大宮の氷川神社で
明治天皇の親祭が齋行されたのですから。



まあ、、
そんなむつかしいことはともかく、、

とにかく良いお社です。

『武蔵の古社』をまつまでもなく

このお社のもともとの信仰は
聖なる泉への信仰。


境内の中でも
禁足地、というか
一般人が入れない領域に
その泉はいまでもあります。


縄文の遺跡も出てますし
とっても古い祈りの場。



門客人社が
かつてはアラハバキ神を祀っていたのは
有名なお話ですよね。
アラハバキ神を奉祭していたのは
出水氏だったかな。。
(今日はなんにも見ないで書いているので
間違えているかも。。)
この一族、放逐されてしまったらしいのですが
理由は不明。




どう考えても
古い一族が駆逐されたのでしょうが。。


もともとは
氷川神社は男体社。

ほかに
女体社

簸王子社がありますよね。

わたし、、
この簸王子社も好きなんです。
女体社も好きですが。。




氷川神社さまは
摂社もたくさんありまして
ほんとうにお祈りがたくさんできて
うれしいんです。



もと地元、、だから。

好きっていうのもありますね。



わたしが研究会の雑誌に寄稿させていただいた論考であつかった
二宮神社さまにも
アラハバキ神はお祭りされています。

アラハバキについては
師匠が論文を書いておられるので
自分の論考では触れないようにしました。

アラハバキ神。

古い神さまですよね。。

いつかもっと掘り下げてみたいなぁ、、と思う神さまです。


今日の御参りも気持ちが良かったです。

ありがたいです。


posted by 明日処 at 22:19| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月08日

息あるも 息なきも

2017-07-08-12-34-58_photo.jpg

こんばんは、深禮(みれい)です。

今日はとっても暑かったですね。

でも、
お山の風は涼しかったです。


今日は月次祭に参列した後
いつもの通り
奥のお山に登拝してきました。


奥のお山に登るとき
なんだか久々な気がするな、、
と思っていたのですが

そういえば
先月は忌中でお山に入っていなかったのでした。
月次祭も2ヶ月ぶり、になるのかな。

山頂でしばらく経ってから
そのことをようやく思い出しました。。



山頂から真上に
奥のお山のエネルギーが吹き上げているところがあるのですが

それは
日によって場所がちょっとずれるよ
と以前教えて頂いたことがありまして

今日はたしかにちょっとずれてました。

そのエネルギーのど真ん中にいると
ものすごく気持ちがよくて


ほんとうに落ち着くというか

2017-07-08-12-22-09_photo.jpg
目の前の木
目を閉じると
自分自身も木

岩も
風も
虫の声も
鳥のさえずりも

なにもかもが
完全に調和していてうつくしい


人も
この調和のなかに
いれてもらえるのだろうか

そんなことを思いました。

人の意識は
どうしても
植物や岩石の意識より
濃くて重いので

自分が木と同調しているときはいいのですが
ほんとうにいいのかなって思ってしまいます。


そして
十分チャージがすむと
なんだか
夏休みに
いなかのおじちゃんの家で
扇風機も必要なくて
たたみの上に
うとうとと寝転がっているような気持ちになって。


完全復活!
下界でがんばります!!
と言ったとたん
下から人が登ってくるんだよね。

ほんとうにいつもながら
ありがたいんです。



今日の月次祭も

ひさしぶりに

ものすごく素直な気持ちで
参列させていただけました。


いつまでも
この気持ちをキープしたいです。


けっきょく
素直になれないのは

怖いからなんでしょう。。。


でも
神さまのお計らいを信じていればいいんだよね。
と思います。


きめたんだから。

そうやって進むって。



もしかしたら
昨日の七夕にあわせて
祈りの巡拝が

けっこう自分に作用しているのかも。


光や風や
木々をみたしている命そのもの

そういう目には定かには見えないもの

確かにわたしの身体にながれて
すべての
息ある息なしにかかわらず
この地にある存在を
活かしてくれている

なんだか
そのことが
すごくありがたく感じられた一日でした。



奥のお山から下りて
また神社にもどって御参りして。

最後にお土産物やさんでいただいた
あんみつが
おいしかった。。

山頂から食べたかったの


ありがとうございました。





posted by 明日処 at 21:40| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月07日

今年の思い

ee896a07d58b32780f4d6847fd1c1ae6_s.jpg

こんばんは、深禮(みれい)です。


今日は暑かったですね。


節入りの日でもあり七夕でもあるので

色々神社仏閣をまわってきました。


御参りして神仏の前にいると

ほんとうに望んでいること
祈りたいことが
シンプルに自分の内側から出てくるんですね。


最終的に出てきた祈り。
それはもう願いではなく祈りだったのだけれど

もう自分はこれしかいらないんだな

これだけできれば本望なんだな
と、
あらためて思いました。


一日出歩いて
帰宅する途中
夕日に輝く芙蓉の花をみました。

うつくしかった。


わたしはただこの花のように
美しくかがやこうと思いました。

たとえ
放射能でいっぱいでも
もし
もっとひどい状況でも
厳しい状況でも

なにがあっても

ただ神さまの方をまっすぐむいて
うつくしく花開いていよう

それが
この命くださった存在への
精一杯のお礼の表し方だと。


花でなくても
うつくしい

雑草でも
毛虫でも(今は苦手なのですが)
おもいっきり美しい

だからわたしも
わたしの美しさを輝かせていよう
と。



去年の今頃
ある神社のお祭りに参列させていただいて
その翌日に猛然と感じたのは
「舞いたい」
という気持ち。


ご神前で舞わせていただきたい
精進したい
という気持ち。

まだ舞わせていただけるかどうかも
よくわからない状況で
舞が下手で
ほんとうにまだまだで。。

其の中で
とにかく舞いたいと思いました。

そしてたった一年の間に

新しい舞と出会って

その後3回も大祭で舞わせていただけました。

去年のあの頃を思うと
ほんとうに泣けてくるほどせつないほど
舞いたかった。


舞への思いはいまでも
ますます強くなります。


そして今年

今わたしの心をふるわせる思いは

「真澄(ますみ)わたりたい」
という気持ち

どこまでも清浄に清くいたい

心を磨きたい

わたし本来のエネルギーに戻って
常にあのエネルギーで存在したい

お祭りから帰ったときから
ずっとそれを願っています。


どんな時でも
どんな状況でも
美しく
きよらかでいたい

そのことに精進したいと思うのです。


あのエネルギーしか
もう
いらない。

そういうこと
なんですね。


その思いは
わたしが大願を果たすために
かならず必要な事。




ありがとうございます。
posted by 明日処 at 21:38| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月06日

今生ではやってない

こんばんは、深禮(みれい)です。

今日はちょっと雑談的なお話ですが。。


武道のおはなし。


私が教えて頂いている舞を習っている男子、、はおしなべて
武道関係者、、というか、古武術を修得されていて。
中には武道家の方もいらっしゃいます。


その内のお一人がおっしゃっていたこと。


それは、、

わたしのように召命型の人というのは
(召命型の人: 
  無理やり 神さま事方面に引きずり込まれる人のこと かな。。)

ある一定の年齢がくると

肉体を離れる可能性がある年齢があるのだそうで。

そういうお話を以前に(武術の??)お師匠さまから聞いたのだとか。

その年齢を聞いたとき

だいぶ前に

西洋占星術の大家の方が

指摘したある年齢と合致したので

すごく納得しました。

西洋占星術の方は

なんとなく 口を濁す的な表現でしたけど

その年齢に かなり 大きなことに遭遇するのだというのは

わかりまして。

あと、、手相にも出ているかな。


それと、、

実際にそのあたりの年齢でここから離脱した方を存じあげていて


その数年前にたまたまお会いしたとき


ああ、このエネルギーをこの肉体で支えるのは

かなり 難儀なことだな、、とは感じていたんですが

まあ ああいう感じになると

厳しいですよね。

エネルギーというか光がかなり増大して

身体で支えきれなくなるんです。

で、、

その古武術を修得されている知人いわく

それを避けるためには

師匠がおっしゃるには

身体を鍛えるとよい、とのことで

武道などして身体を鍛えるか

あるいは鍼灸で身体を整えるといいらしいですよ、とのこと。


ただ、、

今習っているこの舞は

実は武術の奥義に含まれる所作が

ふんだんに入っているので

(だからこの舞のことはあんまり人には伝えたくないそうな。。)

この舞を習っている限り大丈夫ですよ。

と、おっしゃってくださいました。


はたして

その年齢まで舞えるのだろうか。。という疑問はありますが

でも、、そんなに先の年齢でもないんですけどね。


今でも

道を歩いていて突然

「ああーーー!舞いたーーーーい!!」と思うくらい

舞が好きなので

たぶんとりあえず

このまま習うと思われます。


しかしね。。


武道にはちょっとめんどくさい思い出があります。


だいぶ前なのだけれど

わたし、、実は合気道を習っていました。

と、いってもカルチャーですけれどね。


でも
すごく楽しくて

ぐいぐい進んでいたのですが

面倒くさいこと その1は。、

同じ教室の先輩(といってもかなり年下ですが。。)が

ある仕事に就きたくて

で、、わたしが当時その仕事をしておりまして。。

実際にはその人は、違う職についていたので

なんかめんどくさい。。

でも、ほっとけば良かったので

それはいいのですが。


もう一つ面倒くさいことが。。


ある夜のこと

夢をみました。

それは

合気道教室の大先生(男性 推定70代)から

「おまえ 剣道をやっていただろう」といわれ

「いえ、やってません」

と、答えると

「隠さなくてもいい」

と、信じてもらえないという夢。



するとですね。。


その週のお稽古のとき

若先生(女性 推定60代)から

突然

「あなた、剣道やっていたでしょう」と

本当に聞かれたんです。

(きたよ。。)と思ったのです。

「いえ、やってません」

すると しばしの沈黙の後、

「あ、そう。」とのことで。。

その感じが、絶対信じて無いんだよね。



面倒なことその1の人が若先生にとっても気に入られていて

それで少し面倒な感じだったのも手伝って

で、、色々面倒なかんじでやめました。



やってないってば。

少なくとも今生では。

でも

やってましたよ、確かに。

剣道じゃなくてね。

剣術は。

(この時以外にも 剣道有段者複数から
 同じことを言われたことがあるので
 たぶんそいうことなのかと思う。。)


でも

それって今のことじゃないからいいじゃない。。

と思うんだけど。



素質、、みたいにして受け入れてもらえるなら

楽なんですけど。


でも
面倒なので その後武道に手を出していません。
やりたい気持ちは今でもあるのですけれど。
そのうち、、かな。。

だけど

今習っている舞で

十分幸せです。

「舞いたい病」の発作が起きたときに

ほんとうに舞えるように

身体に所作をたたきこみたい、、と思うのです。

それでほんとうに十分幸せ。

ありがたいな、、この舞に出会えて、と思います。


その先に生き延びられるかどうか というのは別として

舞に出会えて

舞わせていただけること

それが今のわたしにとって

どれほどありがたいか。。

それで十分、、かな。。と思います。

posted by 明日処 at 21:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする