2017年07月27日

イナリと秦氏

こんばんは、深禮です。

ひさしぶりに 上からのダウンロードが一気に来ている感が強く
ちょっと一杯になっています。

今日大学の図書館で
「立ち読み」のつもりで手に取った
『秦氏の研究』。
前々から読まなきゃな、、とは思っていたものの
寄り道しすぎだろうと思って読まずに来ていたのですが。

最近ちょっとイナリ神とはなんなのか、
すごく気になってきて。

以前、ずーっと以前に
アヌビス神とのかかわりについて
有る方から教えて頂いてはいたのだけれど。

うーーん。それはちょっと論文的には書けない、、と
思っていたんですよね。


ただ、、
今よくイメージされるような
現世信仰万歳的なおいなりさん、というのは
かなり時代が降ったところでのイメージにすぎないわけで。


ではもともとのイナリ神とはなにか、
ということが かなり気になっているんですよね。


すると某所で
山城国風土記逸文にあるいなり神についての記述は
秦氏がの信仰がかかわっている、というお話を小耳にはさみ、、
いなりについての信仰は
秦氏が持ち込んだもの、、ということなのかな、と。

ならば
秦氏を知らなくては、、
と思った次第で。


イナリについてわたしが感じているものと
秦氏の信仰とどうからむんだろう、、と
興味津々で読んでました。

一言で言えば
白の信仰なんだね。

再生 白 しら の信仰。


確かにわたしが感じる者と
ちょっと近い。

あとは自分の感覚を整理しないと
うまくかみ合わないだろうな。。

で、、
さっきfacebookに【自分の頭を整理するためのメモ】として
書いた文章をちょこっと載せてみます。

なんか 今日はすごく頭がつかれたので
このメモでおしまい、、です。
中途半端でごめんなさい。


【頭を整理するためのメモです】
稲荷についてずっと最近考えているのですけれど、ヒントを頂いたのはある会にて。。稲荷神が今あるような現世御利益信仰でなかったのは勿論あたりまえですが、それではもともとの形は何か、ということ。祈っているとそのあたり直感的にこうかなと思えてくる部分があります。それを誰か書いてないかな、と思ってみている。
山城国風土記逸文にある稲荷の逸話。これは秦氏がからんでいるわけで。
伏見稲荷のあるお山ですが、秦氏がくる前の時代の古墳があったそうで、やはりな、、という感じ。秦氏が来る前から信仰対象の場という可能性が高い。
秦氏が持ち込んだ信仰は白鳥信仰だとは伺っていましたが、白鳥 白 シラ 稲績(シラ)なんでしょうかね。。稲荷=稲なりとか、稲を背負う老人の姿ととらえるのははるか後の信仰。今の現世利益的信仰はさらに後の江戸期にできたイメージ。稲荷行者とかね。
たぶん、鳥取の白兎神社のようなもので、(白兎神社自体はあたらしいけれど、そこは古墳の地で、さらに集落と集落の境界線にある)つまり再生への信仰。秦氏の信仰はどうやらそのあたりのようです。(それは、今日読んだ本によればということで。。600頁越えの本2冊なのでまだ、斜め読みです。)
ただ私がしりたいのは秦氏の信仰以前にどんな信仰だったのか、、ということ。原初のイナリ信仰とは何か。。ってことが知りたい眼目ですが、でもまだ白 の概念 再生への信仰のほうが、今あるおいなりさん信仰のイメージよりは私の中にあるものにずっと近い。もともとの信仰が似ている何かがあったかあ秦氏が自分たちの信仰を乗っけたのではなかろうか、、と思うんだけど、はたしてもともとの信仰があったのかなかったのか。。知りたい。

いうまでもなく、おいなりさん=狐ではありませんからね、もちろんあたりまえだけど。

阿須波神も同系列ということになるのだろうか。。これはちょっと飛びすぎか。。
生まれる際の力が出現したら、生まれて死んで再生する、という循環が必要になるわけで、そこで陽と陰のセットが必要とされるということなのだろうか。イナリは再生の信仰ならば。
論考にそのままは使えないけれど、豊富な引用資料から使える部分を使わせていただくことは可能、、だろうな。 とりあえず、、稲荷山の古墳の件、あとは、、これはもうトンデモ説になってしまうけれども景教と秦氏のからみもちょっと見てみるかな。。すんごい寄り道だわ。。もちろん書かないけど、知っておいてもよいかな。。その余裕があれば、の話。

posted by 明日処 at 22:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする