2017年04月29日

痛みを受け入れる

今 絶賛 自分と向き合い中です(笑)


どうして そんなに周囲と壁をつくるのか
そんなプライドは必要ない

と指摘され

そのことを考えている中で


壁の原因を思い出しました。


わたしが周囲と壁をつくった時期を。

それは高校入学と同時でした。

実をいえばもっと前からなのですけれど
はっきり創ったのはその時です。


それまでいつもにこにこして冗談ばっかりいって

「いつも何も悩みがなくていいね」


「Aちゃんは繊細だから助けなくちゃいけないけど あなたはほっといても大丈夫」

と言われるような存在でした。

でも実際には

とても大きな問題を抱えていました。


高校に入学し環境が変わると同時に無理をするのはやめることにしたのです。


一日中誰とも口をきかない日もありました。

その方が楽だったのです。

親しくなれば

話さなければならなくなる

でも話したところで

同世代の子や学校の先生には絶対受け止めきれない

そういう確信があったから

壁をつくることで

自分を

そしてたぶん

周囲の人をも

守ろうとしたのだと思います。


たぶん私から相談されても

みんな絶句するか逃げるかだろうな、、

わたしが傷ついていることを知れば

まわりが傷つく と思っていましたので

相談はできない、そんな考え方でした。



一人でそれに耐えるために

あらゆる感情を切り離して

まったく傷つかない人を完璧に演じていました。

当時わたしの周囲は

すざまじいまでの感情のあらしで

わたしが「傷つかない人」であることを

責められることもありましたが

その嵐の中で

誰かがその役割を演じなければならなかったと思います。

わたしは 傷ついたりショックを受けたりしてはいけない存在でした。

実際には

その時だけで無く

ほんとうに長い時間その役割を演じていたのだと

今は思います。


感情を切り離すことは

生き続けるためには 必要なことでした。

終わりの見えない

混乱と

怒号と

。。。。

救いのない 冷たい暗黒の時間

それが奇跡的に終わり

なんとか問題がクリアできたとき

わたしは

どうやったら笑えるのか

どんなときに泣けばよいのか

まったくわからなくなっていました。

それは 数年間 続いたと思います。





今だったら

もし相談していたら 

当時の女子高生なりに

なんとかわたしの力になろうとしてくれた子も

いたかもしれません。

対処できないなりに

先生も手を貸してくれたのかもしれません。

しかし 当時はそんな余裕はまったくありませんでした。


今振り返ってみても

たぶん 実際には誰も私の力になれる人はいなかったと思います。

でも 問題の性質上 それは仕方がなかったことです。



今、そのころ切り離した感情を

もう一度感じて

解放することを続けています。

こんなにも深い傷が残って居ることに

気がつくことができて良かったと思います。


しんどいときほど

へらへらしているのが私なので

結構大丈夫です(笑)


これをわたしが乗り越えれば

きっと誰かの 力になれると思います。

これを乗り越えれば

わたしの痛みはわたしに深みを与えてくれます。


その深みはきっと誰かの役にたてると思います。


悲しみも怒りも 涙も痛みも

皆受け入れて

先にすすんでゆく


そうしなければ

個は越えられない。

越えなければ

わたしは私の全体性とつながれない。


つながれなければ

わたしは私の役をはたせない から


かならず 乗り越えます。



今 しんどい方もいるかもしれません

それはきっとあなたのためのギフトだと思います。


どうか祝福を受け取れますように。










posted by 明日処 at 08:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月27日

個の意識を越えて


NCM_0049.JPG
こんにちは、深禮です。

先日来なんとなく座禅を再開するようになっておりまして

それで なんとなく思い出したことを書いてみようと思います。

わたしは 病気が見つかる少し手前で

ある座禅の先生と出会いました。

その方は 師匠から見性を認められた方なのですが

わたしはあまり座禅について詳しくないので

その方から聞いたお話です。


簡単にいいますと、、

座禅が深まってくると

まわりのすべてと自分の境界線がなくなる 
というお話を聞いた記憶があるのです。



在るときのこと

その先生のお師僧さまとご面談させていただく機会がございました。、

もちろんわたしだけでなく 他何名もの方々が
ご一緒でした。

でも
わたしがお目にかかるのが初めてだったためでしょう、、

お師僧さまとお話できるように

先生が少しお話を振ってくださったのですね。





その面談の際にはすでに私は病気が見つかり

身体によいものを、と
色々試している時期でした。

当時もこうしてブログを書いていまして

身体をあたためる野菜のスープがおいしい、と書いたのです。
面談の数日前に。。。


すると、、
お師僧さまが

海外の教会でふるまわれた野菜のスープがおいしかった
と急におっしゃったのです。

わたしの座禅の先生が
ドキっとされたのが手に取るようにわかりました。

わたしは先生に自分がサイトを持っていることや
ブログを書いていることは伝えていませんでしたが

わたしのメアドからそれらを見ているだろうと
以前からなんとなく感じていたのです。

当然わたしのブログの記事も読んでいらしたようで

偶然にお師僧さまが「野菜のスープ」と
突然おっしゃったことに驚かれたのだ
ということが一瞬でわかりました。


でも、、

そんなのあたりまえなんですよね。

だって意識は繋がってますから。


そこで
わたしも確か
「身体があたたまりますし、野菜のスープはおいしいですね」
などという感じで
返答したと思います。

お師僧さまが わたしのデータをお読みになったのもわかるし
わたしがわかっていることを
お師僧さまが感じておられることもわかりました。

(座禅の先生が
わたしの返答にも驚いておられたようで
ちょっとおもしろかったのですけれど。。)


その後も少し会話を続けたのですが

座禅の先生の心の声が大きくて。。。

もうちょっと小声でしゃべってほしかったです(笑)

やっぱり
座禅を続けていると
雑念がないので
心の中の声が大きく聞こえちゃうんです。
仕方ないんですけれどもね。


でも、先生の心の声のボリュームが大きいお陰で
偉い方との会話の最中、
そそうすることなく会話が続けられて良かったですけれど(笑)


こういうことは 別に不思議なことでも特別なことでもありません。


他にもたとえば、、

身体が周囲の事物とつながっているという感覚を強烈に感じた体験があります。

それは一度はヒプノセラピーの時。


もう一度は

朝の滝行で滝に向かうとき。

この時はある習慣をずっと続けていたので
そのせいだと思います。

身体の枠を越えて
外の事物が自分の中に入り
外と内の境界線がなくなって
身体が透明になり
一体となる感覚はとても気持ちがよいです。



そして寧ろこの感覚の方が
自然であり
あたりまえであり
ありのまま なのです。



これからの世界

個の意識で動いてゆくとゆきづまります。

個の感情や思いを越えて

動いてゆくようになります。

それがたぶん標準の意識モードになってゆくと思います。

今は過渡期で

どちらの意識も使っていますが

そのうちに
全体モードに完全に移行してしまうのでしょうね。

個の意識がほどけてゆき

全体の意識から全体を感じる
というのが普通になります。

もちろん この次元だけの意識ではなく
多くの次元と同時につながる感覚です。



数年前からエネルギー上の分岐点が何度もつくられて

わたしどもは皆振り分けられています。

意識の広がりぐあい 重さ 軽さ

どれだけ魂とつながっているか などなど。


すべては 自分の選択しだい。

全て自分の意識が世界の中心にあって

昨日と同じ世界にいるような気がしても


同じではないかもしれません。

同じ意識の開き方にあわせて
周囲の方達も変わっていると思います。

うまくいえないのですけれど

簡単にいうと多元宇宙 のような感じなのです。

意識の波乗り のような感じ。

どの世界を選択して

どう世界を創るのかも

一人一人 自然と選択している と思います。


なかなか表現が難しいですね。。


全体として世界が変わるのではなく

次元を選んでいる のではないかと思います。


選んでいるのは 自分。


そんな時代はすでに始まっている気がします。








posted by 明日処 at 16:40| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月26日

山羊座のわたし。。

おはようございます。

深禮です。

以前「しいたけブログ」さんで

「龍系の人」「巫女系の人」という記事がありまして

それを読んでとても面白くて。。

以来たまに

しいたけさんのブログを読ませて頂いているのですが、、

今回のこの「山羊座のドM性」。。

すごく腑に落ちてしまって

思わずご紹介です。

記事はこちら→「山羊座のドM性


山羊座ってですね、本当「最高か最低か」しかないんですよ。

もう、自分が好きなこと、関心があること、

今取り込みたいものに関しては

お金も労力もエネルギーに関しても糸目をつけないし、

興味がないことに関してはそこに一銭の予算もかけません。


ほんと、、その通りなんです。



わたしが好きで関心のある世界はとても狭い領域なのですが

その事について傾ける情熱とか勢いとか

そこにこれだけの熱量を注いでそれが何になるかなんて

まったく考えることもなく

とにかく注ぎ込みまくるわけです。



最高でなければ意味がなくて

さらにわたしの九星気学の星的にも

できるまで努力する

できない、という言葉は必要ない、、

と思ってしまう部分があり。。
(あくまで自分自身に対してだけです)


この偏り感はもう

自分の質であるし

たぶん

これが

「道具」として生きるためには必要な感覚なんだろうな、、と

あきらめていましたが

多くの山羊座のみなさまが

こういう生き方をしているんだな、と思うと
なんだかほっと救われます。



先日書いた滝行の話もそうですが

注ぎ込む力は実ははんぱではありません。

そう、
中途半端が大嫌いなのです。
じつは。。

そうは見えないらしくて

先日
「おまえは中途半端だ」と
いわれたのですけれどもね(笑)

だから
あくまで自分としては、、ということなのですが。。



滝や山や断食は趣味のレベルと書きましたが

それを誤解して

甘いお気持ちでお遊び感覚で

同じ事をされたら

かなり痛い思いをされると思いますので

ご注意くださいね。


『日本思想大系』の第20巻 『寺社縁起』の月報に

「修験道思想史における「諸山縁起」の意義」という
宮家準先生の文章があるのを
昨日掃除をしていてたまたま見つけました。

そこに「修験道は元来験力を獲得することを目的として
山岳修行をおこなった宗教者たちから始まっている。」と
ハッキリ書いてありまして

わたしが「趣味」と書いたのは

このように明確な「験力を得たい」という意識はなく
精神修養を第一の目的として
たまにやっていたレベルだ、という意味で書いたということを
補足した方がいいかな、と思いました。


修行ということについては
また色々思うところあるので別項で書いた方がよいかもしれません。


とにかく、、

自分のこののめりこみ傾向

なっとくしました。

















posted by 明日処 at 07:36| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月24日

木の香り 水の香り

ayahiro.0606_2 - コピー.JPG

こんにちは、深禮です。

先日 お山の神社でのご奉仕の帰り道。

ケーブルの下の駅についたとき

懐かしい 木の香りと水の香りを感じました。


香りというのは記憶を呼び覚ましますね。


毎日祭の記事でも書きましたが

お山の神社とのご縁はもう10年以上にさかのぼります。


初めてお山の神社にいったのは

まだおつとめをしていた頃でした。

仕事の代休をつかって 平日に 宿坊に滝行にいったのです。


その後,仕事をやめてから初めていったのは

滝行 断食 山駆けの合宿でした。

当時、山登りなんてまったくしたことのない私が

いきなり申し込んで

結局、山駆けの途中でへたばってしまって。。

それが残念で

その後毎月そのコースを一人で歩くようになったのです。

もちろん、滝行をしながら。



毎月2拍3日で山に泊まっている内に

合宿と同じように、断食でやりたいと思うようになり

半年後からは

ずっと食事を抜いて

山を歩き 滝行をして 瞑想をする

ということを続けました。

丸2年は毎月かよっていたと思います。

その後はK大に通うようになって
それでもできるだけ通っていたのですが
忙しくて一時期山から離れました。



そういうことって

人からみると修行のように思われるみたいですが

私の中では申し訳ないほど

その感覚はありませんでした。


ただ、、

自分の中にある生きずらさのコア、核になっているものを見たい。

己と向き合いたいということ それのみ。

修行というか
むしろ
滝に打たれ、山を歩いている方が
里にいるよりはずっとずっと楽なのですから。
里の方がずっと「修行」だな、と思っていました。


それに、、
たったのひと月に2拍3日のみ。

朝夕2回
(たまに 夜もご指導いただけることもありましたが)
ひと月計5回のみです。

それ以外に
日帰りで何度か山と滝をさせていただきましたけれど
それを入れても。。

ほぼ毎日やっているのでしたら修行と言えるかと思いますが

こんなレベルでは単に 
趣味、、ぐらいとしか言えないでしょうかね。。。


趣味に過ぎないレベルだったかもしれませんが

一年の内で滝が一番いいのは

大寒から節分にかけての時期でした。


寒いのを通りこして水は痛いほど冷たく
滝壺が腰のあたりまで深くて
頭から水を浴びていると

心臓が止まりそうなほど
ぎゅっとしまります。

どうなってもいい、、と手放した瞬間に

ものすごく深い意識の領域にぽん、と入る。

あの感覚は
滝行をやっている方なら
みなさんご経験だと思います。




夜の山を一人で歩いて頂上で瞑想したことも
何度も何度もありました。


当時ご指導してくださった方は

夜の山行の時には懐中電灯をつけないで歩くとおっしゃっておられましたが

わたしにはそんなことはできず。。

新月に宿泊することも多かったので
ヘッドライトで一人黙々と山道をあるきました。

山の闇は濃くて深くて。

分け入ると次第に
異界に入ってゆく感覚。


歩くうちにしん・・・と心が静まってきて

すーっと視界が開けてゆく感じで

たった一人になれる感覚が好きでした。

もちろん、、歩き始めは怖かったですけれど。



書くと長くなってしまうのに

思い出すのはほんの一瞬で

その感覚を思い出すのですから 面白いですね。

今は身体の面で不安があるので
冬の滝はもうできません。

去年久しぶりに夏場の滝を
ほんの数回やらせていただきました。




今は少しずつ
違う形で
自分を整えるすべを みつけているところです。

もちろん
機会を頂ければまた
滝行もさせていただきたいと思っています。



あの時があるからこそ 今がある

そんな思いとともに

あのときの
切ないまでに一生懸命で必死だった自分を
懐かしさとともに
思い出しました。





posted by 明日処 at 16:43| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月22日

毎日祭

18056821_807708386070864_10124714385333794_n.jpg


こんばんは、深禮です。


昨日はお山の神社でご奉仕させていただきました。


今年は酉年ということで
12年に1度の式年祭の年です。

そして式年祭の4月、5月のみ
毎日御扉開扉を行うお祭りがおこなわれます。


神社の本殿は
二重構造になっていまして
外陣という外側の部屋と
その中にある
内陣
(もしくはさらに内内陣というのが或る場合もあるみたいですが)
が、あります。


今年の毎日祭では
普段は内陣の中、
御簾の奥にいらっしゃる
蔵王権現のご神像が
外陣の扉ちかくまでお出ましになっていて

それを拝することができます。
(鎌倉時代初期の作と言われているそうです)


18057956_807708392737530_4559993460047908791_n.jpg

昨日は平日でしたが
山の上の神社まで
たくさんの方々が御参りにおみえになりました。


こちらの神社は
講の組織があり
その講の方々がたくさんおみえになるのですが

昨日は
毎日祭というお祭りに参列されて
昇殿参拝された方々の数は
講中の方よりも
たぶん一般の方々の方が多かったと思います。


みなさま一様に
すっきりされたすがすがしいお顔で
お帰りになるものですから

授与所から
「いかがでしたか
とお声を掛けさせていただいたりしました。

すると
皆様それぞれに
たくさんのものを受け取られているようでした。


中にお二方
「今日は全然しらなくて参列するつもりはなかったのですが、、たまたま。。」
という方が

「背中や首筋がとても熱くなりました
とても強い神さまですね」

と、おっしゃっておられました。



実はよく”みえてしまう”んです。。
とのことだったので

のど元まで
「・・・・・・」
と言いたくなったのですが、、

いやいやいかん。。
わたしはただのアルバイトの巫女さんにすぎないのだから
ここで何かいうと
この神社の方から言われたと勘違いされてしまう。。

と思って
飲み込みました。


せっかくのご縁をいただいたので
よろしかったらまた御参りにおこしくださいませ

とだけお伝えしておきました。


18033226_807708389404197_7441080101071611441_n.jpg


ご神縁とは
ほんとうに不思議なもので。。


お導きというのは
あるのだと思います。



私自身こちらの神社とのご縁は
もう10年以上になります。

でも式年祭は初めてです。

御扉がひらくのは
いつもの大祭でもあることですが

今回はほんとうに違います。

弊殿にくると
胸があつくなりうるうるきますけれど


拝殿の中にいなくても

授与所にいても

御扉が開いているときは
空気が違うのです。



もし機会がありましたら
遠いですけれど
いらしてみてください。





続きを読む
posted by 明日処 at 20:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする