2017年07月30日

いつも一緒だと思えるように

こんばんは、深禮です。

今日は久しぶりにゆっくちぼーっとできる時間をいただいたので

CDを聴いていました。

以前にご紹介した チベット仏教の僧、尼僧の
僧院でのマントラチャンティングのCDなのですが

聴いていると
心がぱーーんと広く空にむかって開ける感じで。

蒼穹の宙(そら)。
藍色の世界と星々。

それに抱かれる感覚。

なんだか ものすごく深い安心感があります。


以前一度そういう安心感を感じたことがあり

それはお山の神社の大祭に参列させていただいた時でした。

その後すぐ 手術を控えていて

なぜか微熱がさがらず
身体に力がはいらないまま
参列させていただいた例祭。
家人が連れて行ってくれました。

検査の結果しだいでは
さらなる治療を要するかも、、と言われて
(まあ 半分おどかしのようなものだったのかもしれないのですが)

今後どうなるのだろう。。と思いつつの
参列でした。

お祭りが終わって地元の駅についたとき

サーモンピンクの夕暮れの光の中で

大丈夫だ たとえどんなことになっても
大丈夫なんだ
よくわからないけど 
なんだかわからないけど
大丈夫なんだ

理屈ぬきで そう感じました。


ただ とても大きな何かに包まれているような
そんな心持ちになりました。

その手前で医師からは
この病気はわからないことが多いので
スイッチが入ったら僕は川合さんを助けられません
手術を受けないのなら ホスピスに行ってください
と言われていたので

ほんとうに びくびくだったんですが(苦笑)

その気持ちを大きくひっくり返すぐらいの
気持ちになりました。


その後のわたしの目標は
つねにその時のような心持ちでいられる ということ。

なにがあっても どうなっても 大丈夫だと

いつも神さまと一つだから、と感じられるような心持ち。

そういう、
どんなときでも つねに神さまと一緒に居られるような心持ちをつくる

ということが 自分の目標になりました。


まだまだなんですが

すこしは近づいているのだろうか。。


命にしがみつくのをやめられたら

個にしがみつくのをやめられたら


もうすこし 進める気もします。


もっと精進だな。。
posted by 明日処 at 20:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月29日

資料に追いかけられる感

こんばんは、深禮です。

一昨日だったかしら、、
facebookに【頭を整理するためのメモ】をUPしたところ
稲が「シラ」といわれた証拠はあるのか というコメントを頂きまして。

これは私の書き間違えで
稲ではなくて稲績をシラっていうんですよね。
訂正しておきました。

あのメモは一切本は見ないで書いたものなので
ちょっと色々かいてあります。

だーーっと頭の中に入ってくるものを
アウトプットしておかないと
苦しくなるのですよね。

たいていは 歯を食いしばってがまんするんですけれど(笑)


で、、
今日夕拝の後
家人ががさごそやっていまして。

段ボールの箱の中から
わたしがコピーした資料らしきものを
ごそっと取り出しました。

引っ越しの時のまだ整理が住んでいなかった段ボールなのですが。

すると

「シラと白不浄」だとか
「白鳥信仰と穀霊信仰」だとか
という表題の書物のコピーが
どんどん出てくるではないですか。。

こんな資料を持っていたんだ。。と
呆然。

しかも シラについては
コメントで回答するのに使用した
柳田国男の「稲の産屋」よりもっと詳しいではないですか。。
久高島にたどり着いた稲の最初の種を
〜シラっていうのだそうで
(すみません、何も見ないで書いています ごめんなさい。)

シラという言葉が南西諸島でどう使われるかが
記されていたり。。

イナリ信仰について
白鳥信仰や雷神 穀霊 他の信仰との関連性について
論じた文章が出てきたり。。

自分の頭のどこかに
これも入っていたのだろうか。。
記憶にないんですけど。

しかも 奥付をコピーしていないから
何からコピったかわからない。。

しかし、、

やれ、やらんのか をい!

という促しを感じる。。


家人も驚きを通り越して

神さまからのプレゼントだねって、

笑っているし

わたしは 呆然

夕拝直後のこのタイミングかぁ。。

と、力が抜けました。


わたしが勉強していると
知識ばかりつめこもうとしていると
捉えられてしまうかも?しれませんが

実は逆なんです。
いつも。

だいたい
なんというか 「これ」という宅急便みたいなものが
届けられて
それを解凍するとわらわら出てくるので
それが先学の研究者の方達の間では
どう捉えられているか
必死で追いかける。という流れ。


わたしが以前やっていた
古事記の神々についての講座のときも
まさにそんな感じで

教えているとき
初期の頃はとくに
かなりアンテナ立ちまくりで教えていましたよね。。

こんかいイナリ神はわたしがこれから取り組もうとしている論考とは
直接には関係ないことなのですが
間接的には関連性があり。

あるていどはおいかけたいと思います。


なんか

でも

つかれた。。。



posted by 明日処 at 22:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月27日

イナリと秦氏

こんばんは、深禮です。

ひさしぶりに 上からのダウンロードが一気に来ている感が強く
ちょっと一杯になっています。

今日大学の図書館で
「立ち読み」のつもりで手に取った
『秦氏の研究』。
前々から読まなきゃな、、とは思っていたものの
寄り道しすぎだろうと思って読まずに来ていたのですが。

最近ちょっとイナリ神とはなんなのか、
すごく気になってきて。

以前、ずーっと以前に
アヌビス神とのかかわりについて
有る方から教えて頂いてはいたのだけれど。

うーーん。それはちょっと論文的には書けない、、と
思っていたんですよね。


ただ、、
今よくイメージされるような
現世信仰万歳的なおいなりさん、というのは
かなり時代が降ったところでのイメージにすぎないわけで。


ではもともとのイナリ神とはなにか、
ということが かなり気になっているんですよね。


すると某所で
山城国風土記逸文にあるいなり神についての記述は
秦氏がの信仰がかかわっている、というお話を小耳にはさみ、、
いなりについての信仰は
秦氏が持ち込んだもの、、ということなのかな、と。

ならば
秦氏を知らなくては、、
と思った次第で。


イナリについてわたしが感じているものと
秦氏の信仰とどうからむんだろう、、と
興味津々で読んでました。

一言で言えば
白の信仰なんだね。

再生 白 しら の信仰。


確かにわたしが感じる者と
ちょっと近い。

あとは自分の感覚を整理しないと
うまくかみ合わないだろうな。。

で、、
さっきfacebookに【自分の頭を整理するためのメモ】として
書いた文章をちょこっと載せてみます。

なんか 今日はすごく頭がつかれたので
このメモでおしまい、、です。
中途半端でごめんなさい。


【頭を整理するためのメモです】
稲荷についてずっと最近考えているのですけれど、ヒントを頂いたのはある会にて。。稲荷神が今あるような現世御利益信仰でなかったのは勿論あたりまえですが、それではもともとの形は何か、ということ。祈っているとそのあたり直感的にこうかなと思えてくる部分があります。それを誰か書いてないかな、と思ってみている。
山城国風土記逸文にある稲荷の逸話。これは秦氏がからんでいるわけで。
伏見稲荷のあるお山ですが、秦氏がくる前の時代の古墳があったそうで、やはりな、、という感じ。秦氏が来る前から信仰対象の場という可能性が高い。
秦氏が持ち込んだ信仰は白鳥信仰だとは伺っていましたが、白鳥 白 シラ 稲績(シラ)なんでしょうかね。。稲荷=稲なりとか、稲を背負う老人の姿ととらえるのははるか後の信仰。今の現世利益的信仰はさらに後の江戸期にできたイメージ。稲荷行者とかね。
たぶん、鳥取の白兎神社のようなもので、(白兎神社自体はあたらしいけれど、そこは古墳の地で、さらに集落と集落の境界線にある)つまり再生への信仰。秦氏の信仰はどうやらそのあたりのようです。(それは、今日読んだ本によればということで。。600頁越えの本2冊なのでまだ、斜め読みです。)
ただ私がしりたいのは秦氏の信仰以前にどんな信仰だったのか、、ということ。原初のイナリ信仰とは何か。。ってことが知りたい眼目ですが、でもまだ白 の概念 再生への信仰のほうが、今あるおいなりさん信仰のイメージよりは私の中にあるものにずっと近い。もともとの信仰が似ている何かがあったかあ秦氏が自分たちの信仰を乗っけたのではなかろうか、、と思うんだけど、はたしてもともとの信仰があったのかなかったのか。。知りたい。

いうまでもなく、おいなりさん=狐ではありませんからね、もちろんあたりまえだけど。

阿須波神も同系列ということになるのだろうか。。これはちょっと飛びすぎか。。
生まれる際の力が出現したら、生まれて死んで再生する、という循環が必要になるわけで、そこで陽と陰のセットが必要とされるということなのだろうか。イナリは再生の信仰ならば。
論考にそのままは使えないけれど、豊富な引用資料から使える部分を使わせていただくことは可能、、だろうな。 とりあえず、、稲荷山の古墳の件、あとは、、これはもうトンデモ説になってしまうけれども景教と秦氏のからみもちょっと見てみるかな。。すんごい寄り道だわ。。もちろん書かないけど、知っておいてもよいかな。。その余裕があれば、の話。

posted by 明日処 at 22:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月26日

ただお導きのまにまに

こんばんは、深禮です。

昨日のことのさらに補足ですみません。



自ら、、のケースの場合
たしかに次のステージにすすみずらいこともあるのですが

そういう運命を選んだということにも
意味がある場合もありますし
一概にそれがいけないとも言い切れません。

ですから
一番大事なのは
残った方がご自分自身を責めないことかと思います。

このあたり

ほんとうに大切なことで。。



あらゆることに 意味があるなら

その意味は 今生だけでとらえられないこともあります。。

なぐさめにはならないのかもしれないけれど

表面的に意味はわからなくても 

きっと何か意味はあるのだと思います。

何かと何かが組み合わさっているのだと思うのです。


供養というのは
生きている方にとっても
すごく大切なことですよね。
むしろ その方が大きい場合もあります。

さらに
肉親の供養は
魂に確実にとどくので

その後の進みを
かならず促進してくれます。

ですから ご供養は 亡くなった方にとても力になります。


わたしは門外漢の未熟者なので
たいして深い言葉で書くこともできなくて
申し訳ありません。



研究会のメンバーで
ボランティア活動として
残された方のご相談に乗ったり
自分からいってしまおうと思う方へのご相談に乗ったりしている
僧侶の方がいらっしゃいます。

すごいな、、と思います。


人の苦しみやかなしみに
むきあってきたのは
仏教に歴史があったのでしょうか。。。
やはりそういうご相談が多いようです。

そういう意味で

わたしも 仏教も学ばねばとも思います。


神さまはもちろん 大好き

大好きを越えて

愛しているも越えて

なんと表現して良いかわからないほど

すべて めいっぱいすべて 。。なのです。


ただ
仏様の前に座ったときの
しんとした静けさも
好きです。
底から支えられるような
あたたかい力強さも
好き。


神仏のお導きのままに。

ただただお導きのまにまに

ゆっくりでも
精一杯進んで参りたいです。

     

蛇足ですが、、

わたしはちがうので、、
もしものときは   
祓いのプロにちゃんとお願いしましょうね
posted by 明日処 at 21:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もしもの時は プロにたのんでね

こんにちは、深禮です。

昨日のブログを読んでいて

ちょっと補足、、です。

自分に憑依してしまった霊のこと。なんですが

どうやって祓ったのかってこと。



あんまり悲しそうだったので

わたしが一緒にいってあげようか といったところ

いいの?というので

いいよ。と答えて

まあ  連れて行かれそうになったんですけれど
(自己責任でね)

意識がなくなる寸前に
母に怒られるだろうなぁ、私がかってに死んだら。。と思って

(おかあさん ごめんなさい)といったら
離れていきました。

と、いうわけだから
あんまりまねしないでくださいね。


これはわたしの質なので
ほんと まねはなさらないでください。

この霊にあう手前も
同日 多数の方にお会いしていて
そういう一日だったんですが。

(たぶんこれ 以前にも書いている気がしますが
お友達のうちに宿題をしにいった時の話で
友人もそのご近所さんもご一緒の時の経験です。)


それだけでなくて
以前も書いてますけれど
2年に一回くらい
霊団に襲われる日々だったですし

ちいさいことはしょっちゅう。


我が家(実家)はまったく信心がない家でしたから
(初詣でという習慣があることを知ったのは10歳すぎてから という。。。
 私がアホすぎるんだとは思いますが。。恥ずかしいよね)

いつも自力で祓ってました。


どうやってやるの?とか
きかないでください。。

原始的なやり方で
今はそんなやり方でやっていないので。


なんだかちょっと気になってしまって補足しました。

とにかく
霊にお近づきにはならない方がいいので
おなかに力いれて

ちょっと重くなったら塩祓いと酒祓いで。

それと
仏様(仏教の仏のことです)となたでもよいので
お預けしてください。

自力でやろう、とか思わないで
信頼できるプロを知っていたら
その人にお願いしてね。



なんか昼間から変なお話ですみません。



posted by 明日処 at 12:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする