2017年07月25日

つかれた時。

こんばんは、深禮です。

今日はなんとなく 蒸し暑かったですね。

こういう時は 気持ちもどんよりしがちなのかもしれません。

そんなとき

おすすめなのは 清める という行いです。


まず すごく簡単なことなのですが

帰宅したときに玄関先で
足下やぼんのくぼ(首の付け根の後ろ側)とか
両肩とか もろもろ

塩をふりかけます。

それから 玄関から自宅にあがる。ということ。

すごく単純なのですが
できれば毎日やってみてください。

それと、かなりどんよりしていれば
お風呂で塩で身体をあらうこと。

あるいは 塩を湯船にいれてみてください。


それから 

お部屋のお掃除。

どんよりしていると
身体がうごかないでしょうけれど

せめて玄関からリビングまでの通路だけでも。

あるいは玄関だけでもやってみる。
あとはお手洗い。


ちょっと ・・・気になるんです。


たしかにね。

人生いろいろうまくいかなくて

それって 本当はすごくチャンスな時なのだけれど

でも今自分がキープしている自我にとっては
最大の危機なわけで。


そんなとき
自分を消したくなっちゃうことってあると思うんです。

でも。。
やっぱりそれはおすすめしません。

わたしだって そんな時はあります。
おはずかしいけれど正直そんな時もあります。

でもね、、

結局後悔するんですよね。


子供のころ
たぶん 自分で命を絶った方に憑依されたことがあります。

集まっていた警官や消防隊員のビジョンからすると
もしかしたら、、事件??の可能性もあるけれど
でも たぶんね。。

という事がありました。

その人の精神状態、というのを
身をもって体験させていただいて
やっぱり 自分から リタイアすると
つぎのステージに進むのに すごく時間がかかること。

自分を客観的にみられないから
その場にとどまらざるを得ないこと。

人は生きているから
体験するから
自分を変化させることができるけれど
肉体を失うと
それが難しいこと

そういうことを
一気に教えていただきました。

死にそうになったけどね(笑)。


つかれたときはつかれていてもいいと思う。

ちょっと休んで
また歩き出しましょう。

つかれたときは 憑かれたときでもあるから

まず
キレイにしてみませんか?


どうしても つらいなら

世界を愛してしまえばいいよ。

自分ごと。

なにもかも うまくいかない世界ごと

愛してしまう。

ぜんぶ ぶんなげて 愛しちゃうのがいいかもしれません。



一人ではないので。

そのことだけは 忘れないでいてください。


posted by 明日処 at 21:47| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月24日

考えてもしかたないことは考えない 方がいい。。

こんばんは、深禮です。

今日の夕方は涼しかったですね。

やっぱり 季節はもう 秋へと向かっているのかしら。。

滝にゆきたいゆきたいと思いながら

あっという間に 時間ばかりすぎてゆく。。

滝にはいって 少し気持ちを整えたい感じなのですけれど。


今日はほんのちょっぴり 弱音(?)かな。。


だいぶ前に 「しいたけブログ」さんの

巫女系の人の特徴や龍系の人の特徴という記事をご紹介しましたが

覚えているでしょうか。

わたしはどちらも当てはまるのですが

やっぱり最近巫女系の特徴がどっぷりあてはまるなぁと思います。


巫女系の人って、

自分自身の目的ためにがんばるっていうのが
すごく苦手らしく

誰かのため とか
何かのため とか

そういう目的のためだとがんばれる らしいのですが
本当に最近その傾向大です。

自分は何がしたい?と聞かれても
答えられないですね。。

自分の場合は

「道具」「ツール」として生まれてきた
という意識が強いので

道具が意思を持つということは
なんかおかしい気がするんです。


「川合深禮」っていう人は
ほんとうにただの受付嬢なので。



わたしの器にエネルギーを通したり
私から通して出したり

そんなことをするわけだから

以前 人としての感情はもうあきらめて
   人としての幸せももうあきらめて

神さまだけに向かった方がいいのでしょうか、、と
ある方におたずねしたとき
怒られました。。

でも、、
答えがみつからない。

どうしたら
人としての思いもつなぎながら

よりよい道具を目指せるんだろう。。


・・・なんて思う。。

どっちもやるって
そんなこと できるのかな。。

思いながら
ありのままでありながら

それでも 神さまのお道具であること。



最近 自分の器が おもったより大きい気がして
ちょっと びびっている(笑)部分があります。


考えてもしょうがない。

進むしかないのよね。




posted by 明日処 at 22:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月23日

紫のきらめき わたしなりの「たたかい」

こんばんは、深禮です。

今日はこちらは雨もすこしぱらついて
とても過ごしやすい気温でした。
ちょっと 一息つけましたね。
みなさまもどうぞ 
体調にはお気を付けてくださいませ。


先日 バスに乗っていたとき
大きな病院の前を通りかかりました。

何人かの方たちが乗り込んできました。

この中には
お見舞いの方もおられるだろうけれど
病気をかかえた方もいらっしゃるのだろうな
となんとなく思っていました。


バスは動きだし
しばらくすると
私の後ろの席のご婦人が携帯電話で話をはじめました。
娘さんがウナギをもってきたけれど
玄関がしまっていてどうしたらよいか、という電話に
応えたようで
同じ指示を何回もだしていました。


耳障りではあったのですが
こういうときも
ありがとう なんだよな、、と思って
神さまにありがとうと言っていると
ふっと電話がとぎれ、
少しの沈黙のあと

「結果が悪かったからって落ち込んだらダメよ
病気と闘おう。一人じゃないんだから、いっしょに戦おうね」と
そのご婦人がとなりに座ったご主人にお声をかけていました。。

そうだったのか。。と
状況を把握し、
きっと娘さんも心配でウナギをとどけにきたんだな、、と。
だからバスの中でも つい 話てしまったのかな、と
いうことがわかりました。


そしてわたしの中で「たたかう」という言葉が
なんとなくひっかかりました。


わたしは良性の病気だったから
たたかう というより
自分でなおそう、という意識だったけれど

たたかう というのは
病を自分以外だと見なしてしまうことになる
つらくないだろうか、、と気になってしまったのです。

でも 一瞬後おもいました。
たたかう、という言葉は、
きっと落ち込まないようにの言葉にちがいありません。
心を鼓舞するための言葉だったのだと思います。

だから ご夫婦に必要な言葉だったのです。


そして
 たたかう、にも色々なたたかい方があるのだと思います。

話はかわりますが、、

わたしが 地球の波動がかなりおかしいと気付きはじめたのは
2006年頃なのだと思います。

その後 2007年頃でしょうか(2008年ですね。。)
秋葉原で無差別殺傷事件が起こりました。

あの頃の(特に)夏の波動は異常でした。
空気が殺気立っていて ほんとうにきつかった。

その後あの事件で。。
あの後もしばらくきつかったですよね。

わたしはすでにその前に 仕事をやめていて

2005年に ホピの村でホピの予言のレプリカを見て
故マーティン長老から 
砂漠に草木が生え
森が砂漠にかわるようになったら
この予言の方向に流れる。
止めることはできない、というお話を聞かされていました。

それ以前にも
2003年〜04年頃、島に通っていた頃から
月に祈るときに
人の意識が澄み渡りますようにと
いつも祈っていたので
その頃から
地球や人の意識について
とても気にはなっていたのですけれども。



地球の波動を 高めるということ

その 「たたかい」について
自分がどうかかわれるか、ということが
いま 自分が気になっていることです。

わたしのたたかいは「調和」なのだと思います。


昨日個人的に意識がかわる事があり

そして今日、なのですけれど

今日の一日
じぶんなりの「たたかい=調和」を意識して過ごしました。

それは

肉体のエネルギーをほどく ということ。

粒子の振動数をあげてゆくこと。

意識だけでなく

身体ごと

エネルギーを細かく 振動数を速くすることを

今日の一日、ずっとこころがけていました。

その前提として

すべてのことに ありがとう があります。

どの瞬間もうけいれる

ゆだねきるということ


まずは肉体から変える必要があると感じていました。

肉体といえば、食事面があるかと思います。

肉体をつくる食事についても
なにがよい、わるいはないと思います。

FB記事で以前知ったのですが

肉体のタンパク質の質変換のために
肉を接収する必要が起こることもあるそうですし
ヴィーガンだから良い、ということでもなさそうです。

その人のタイミングがあって
必要とするものを摂取すればよい とわたしは思っています。

自分の場合は
15〜6年くらいまえから
牛肉、豚肉がだんだん食べられなくなって
食べようとしても 口がうけつけなくなりました。
鳥は最近まで比較的大丈夫だったのですが

最近は魚もふくめて あまり食べません。

でも出されたお食事にはいっていたら
命に感謝していただいています。

先日も 他に選択肢がなくて
チキンの入ったドライカレーをいただきました。
心から感謝して
いただきました。

だから お肉はNOということではありません。


ただ、、
食事についていえば
自分の場合は少し前から
気分転換のために必要なもの、
という意識がすこしずつ大きくなっていて

あまり 身体をつくるために
食事をする
という意識は中心ではなくなってきました。

不食生活を長く続けて居る方からも
すこし前に、
そろそろもっと減らしても大丈夫ですよ と
お墨付きをいただいたので

それ以来 自然な流れで
自然に たべて 飲んでいます。
回数ではなく
量がけっこう減りました。
へらそう、ではなくて
自然にまかせています。


そのぶん
エネルギーを摂取できる身体にしてゆければ
良いのだろうと思っています。

そういうこと一つ一つが
わたしにとっての「たたかい(=調和)」だから。



たぶん、
この三次元に
重いエネルギーが増えすぎているのです。

下に落ちてゆくのではなく
グランディングUPさせてゆくためには

どうしても 
エネルギーが軽いゾーンを増してゆきたいと思うのです。

自分でもできること といったら
これくらいしかなくて。


できることから 一つずつ、がわたしのやり方なので(笑)


明日からも
できるだけ振動数UPで
やってゆこうと思います。

昨日 帰りのバスの中で目をつむったら
ものすごくきれいな紫が見えました。

アメジストをダイヤモンドカットしたものがくるくる廻っている感じで

3Dですごくきれい。

藍色のきらめきもあり

さいごには白というかそれこそダイヤモンドのような輝きになってゆきました。

あんなにきれいな紫色は見たことがないです。


子供の頃

夜寝る前に目をつむるといつも

グリーンや青のホログラムのようなものが
くるくる廻って見えて
とても美しかったのですが
いつのまにか見なくなりました。

また見えるようになるといいなと思っていたのですが

昨日のアレは
それ以上に美しかったな。。

ああいうきらめきでいたい、と思います。




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posted by 明日処 at 22:18| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月21日

身体のリズム

こんばんは、深禮です。

今日はまた暑かったですが
夜の風は涼しいですね。。


背中に背負う荷物がいつも重たくて
そのせいか ここ一ヶ月くらい
ちょっとおなかの傷がいたいのですが。


だからこそ
外出先から戻って
家の用事をそのままいくつかこなせたとき

ものすごくありがたくなります。

自分の身体にたいして。


ほんとにいつもがんばってくれている自分の身体に感謝です。。

暑いからなかなか動きづらいと思いますが

無理をして
気持ちで身体をひっぱらないように
お気をつけください。


さて あしたは 超はやおき。

そろそろおやすみなさい。

よい 週末をお過ごしくださいませ
posted by 明日処 at 21:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月20日

わたしの小さな本気って。。。

こんにちは、深禮です。

今日も少し過ごしやすくてありがたいですね。


出かける前に 近所の神社さまへ御参りに参りますと

なんだか雲行きがあやしくて
強い風が吹いていて

おまけに
いつもいるセキレイ(かな?)が
わたしが近づくと逃げる。。

これはもしかして
昨日のブログの内容がいかんのでは。。

などと思いまして

ご挨拶の後伺ってみました。

すると


古代の稲荷社で祈ったとき
どうだったのか
おまえ自身はどう感じたのか
どう受け止めたのか
否定しているのかそれとも違うのか
がわからない。
その時の感動を書くようにと促されました。


さらに末社に
稲荷さまがいらしたので
加筆することをご挨拶しまして
なんだかその場でも
感動してうるっときまして。。


末社の一つに
三峯神社さまがあり、

実は祖父もよく
なにかの時には
三峯さんに御参りしていたので
ゆかりのお社でして。

そんなことを思い出して
神さまへのご挨拶の後
先祖様にも三峯さんを通して
感謝のお祈りをさせていただきました。

ここにいること
生きていること
ありがとうございます。
おかげさまです。
ご恩が返せるような生き方を
精一杯できるようがんばります、と。

所詮、精一杯しかできないんですが
それでも 精一杯やる。。

そんな気持ちで神社をはなれて

吉方をとりに向かいました。

帰り道は
とっても天気になって
陽がさんさんと照って
セキレイも わたしの近くを
道案内するように歩いてくれていたので
これでよいのかなぁ、、と
ちょっと安心しました。




吉方をとりに
時折いく駅。

駅近くにコンビニがありまして
そこでコーヒーを買って
駅のホームですこしぼんやり時を過ごします。

あんまり利用客もいないので
ゆっくりとできます。

そこにいると
いつも どうしてなのか
とても気持ちがよくなるのです。

もちろん吉方だからなのかもしれないのですけれど。

なんだか
とてもありがたくて。

次の瞬間自分がどうなるかなんて
わからないことで
その先のことなんて
もっとわからないことなのだけれど

今 ここに
こうして 幸せでいられることが
とてもありがたくて。

ぽっかりうかんだ雲を見ていると

なんだか
とてもあたたかくて 大きな気持ちになります。

ここにいられることに感謝

この場所の神さまに
こころから感謝 
でした。



ちいさな幸せなんですが
とても幸せな時間でした。

ありがたいです。

先日のブログで
わたしのちいさな本気、ということを書きましたが

わたしの本気はほんとに小さいです。


ただ目の前のことを
精一杯やる、という程度だし

お料理とかお掃除とかお洗濯とか
ただ できる限り精一杯でやる。

歩いていても

できるだけよい波動をだそう
少しでも世界がよい方向にすすむように

自分から
よい波動をだそう とか。

神さまとつながったときの
あのエネルギーでいつもいよう、とか。。

それでも一瞬ずれるときだってあるし
常に常に、、と意識し続けるということ。

なんだかそんなレベルです。


それで
帰途につくとき
電車の中に
あかちゃんをおなか側にだっこした若いお母さんがいまして。

その赤ちゃんがぐっすり眠って
首を外がわにかっくんして
完全に安心して ゆだねきって
ぐっすり寝ているんですね。

お母さん 重くて大変だな、、と思いながら

あの赤ちゃんみたいに

世界に 神さまに

全部をあずけて

安心して ゆだねきって生きれば

それでいいんだってことなんだよなぁ。。

と思いました。



どの瞬間もありがたい

そう思うことが

思えるように過ごすことが

わたしの ちいさな本気、、の積み重ね、かな。。



posted by 明日処 at 15:38| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする