2017年05月23日

天地自然にはずされずに生きる

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こんばんは、深禮です。

きのうはじっとしてよう、、なんて書いたのですけれど

なんとなく また 出発しています(笑)


実は今月に行われた大祭の日から

また久しぶりに太陽拝(ヨガではないですよ)を
再開しています。

毎日ではないのですけれど

思い出したときに

できるだけ。


昔島のユタ神から教えを受けていた頃は
毎日おこなっていまして

その当時は
ユタ神n教えて頂いた呪詞を歌って祈っていると
曇っていても
雲がどんどんひらけて
太陽が顔を出すということが
よく起こりました。

他にも
初めて訪れた神社に滞っていた
そこで修行していた方々の残像思念から
太陽の光が助けてくれたこともありました。。
(くわしくかくと長くなるので省略。。)


その後
ユタ神の回りの方々から
島の人間でもないわたしが
色々教えてもらっていることについて
なんやかんやありまして、、

そのお話の方を信じたのでしょうか

疎遠になったということもあり

また

私自身が
島の拝み方では
地理的にむずかしいと思って

内地式、、
つまりは神道のやり方へと移行していったため

太陽への祈りは
すっかりご無沙汰していました。

それに、、

たまに祈っても
昔のように
太陽と繋がることができにくくなっていたから
なんとなくやめていたという部分もありました。


それが、どうしてなのかわからないのですが

8日の朝
太陽に祈ったとき
久しぶりに
太陽の光がどんどんと強くなってゆくのを感じたのです。

この感覚は久々
もしかしたら
また以前のように祈れるのかもしれない

そんな思いでおります。

その後
なんとなく続けていますが

やっぱりてごたえが或る感じがしています、


そんなおりだったのですが
昨日家人が注文していたという本が届きまして

その本の中に
島のユタ神の遺稿(ノート)が
資料として載っていたのです。

タイミング的にちょうどぴったりで。。

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これは一部なのですけれどもね。。


この方はとても有名な方で
民俗学者の研究書などにも
よく登場する方なのです。



ご存命の時によくおっしゃっていたのが

神社やお寺など
人がつくったものに祈るのを忘れても

天地自然の神々に
祈るのを忘れたらいかん ちゅうこと。

天地自然にはずされたら
人は生きていけませんよ。

そういうことを
よくおっしゃっていました。


わたしは島生まれではないから
島の祈り方そのものでやってゆくことはできないけれど

天 地
そして風や木々
光 岩 水

そうした自然 命

その源 根源に心をあわせて

天地自然の神々
命の源に祈るということを
自分の根本にしてゆこうと思います。


シャーマン、と名乗ると
本当に色物あつかいされるので
嫌ですが

たぶん
いちばんしっくりくるのだろうな、、と思います。

自分の過去世の
ネイティブアメリカンのシャーマンにも
自宅で遭遇してますしね(笑)


あまり気負わず
ひょうひょうと
私自身ありのままでいようと思います。


posted by 明日処 at 22:05| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月22日

今はじっとしていよう。。

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さいきん 勉強したほうがいいのか それともいけないのかがわからなくて

煮詰まっていたときに

草取りをさせていただく機会がありまして。。


おいそがしいのに

草取りをご一緒させていただいて

ありがとうございました。。
(と、いってもご覧になってはいないと思うのですけれど)


なんだか 今はすこし 落ち着いて。。

ほんとうに

あの時間が
なにかとっても

ありがたかったです。





まだ どうしたらいいのかわからないけれど

わかるまで

じっとしていようかなと思いました。


自分では知識偏重のつもりなんて

まったくないですけれど。。

どうしてそう思われてしまうのか

わかるまで

じっとしようと思います。




ひつようだから知りたいだけなのにな。。と、、


そう自分ではおもうけれど

人から見たらなにか違うのかなぁ。。



写真は関係ないけれど

沖縄のカ−の写真です。



そういえば、、


刀の
神つなぎも

していただけなかったなぁ。。









posted by 明日処 at 21:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月15日

奥のお山の例祭

こんばんは、深禮です。

今日は奥のお山の例祭でした。

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(確か)標高1077メートルと小さなお山ではあるのですが

神奈備型の美しいお山で わたしの大好きな場所です。

その頂上近くに

ヤマトヤケルノミコトがお祀りされたお社があります。



ここ数年参列させていただいているのですが

山を登ると汗をかき、頂上は麓より気温が低い分

いつも寒いな〜と感じるので

今日は防寒具を装備して登拝させていただきました。


山は雨が降り レインコートを着つつ登りました。

頂上についてお祭りの準備をなさっている間も

まだ雨が降っていたのですが

祭典が始まって 献饌くらいだったでしょうか??


空が明るくなり 雨があがって 霧になって流れてゆく様が

とても美しかったです。

そのありようをみて

ほんとうに なにもかも あるがままの姿で美しいな と

思いました。

わたしが、、という気持ちなどなくても

神さまはみんなみておられるなぁと

そう感じました。

スムーズに進む時もあるし

とまるときもあって


それも全部 お計らいだな、、と


心配しなくていいんだな、、なんて


そんなことを


美しい光と霧と木々の景色の中で

ぼんやりと思っていました。



いつもいつもそう思えているようになればいいな、と思います。


でもだんだんそんな風に思う時間が

少しずつ増えているように思えます。


お祭りのあとは 山上での直会

下からお料理を運んでくださる方々がいて

そのおかげで おいしい お料理とお酒をいただきました。


わたしは お酒を少し担いで登りました。


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みなさま とても優しくて

最初のころは緊張していたのですけれど

あたたかく接してくださるので

安心して その場にいられます。


いつも そのことが とてもありがたいなぁ、、と思うのです。


ありがたい とはなかなかないという意味でもありますが


すこしずつ

そういうありがたくて あたたかい場や関係を

広げ 深めてゆきたいと思いました。


今年もありがとうございますm(uu)m


posted by 明日処 at 20:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月12日

己を捧げるということ

こんばんは 深禮です。

先日のブログに畠山重忠公の鎧が神社に奉納されて
それが現在国宝になっている、ということを
ご紹介させていただきました。

他にも色々な奉納品があります。

それはこちらの神社に限ることではなく
各地の神社に 色々な人たちから
ご奉納の品というのが納められているのはご存じだろうと思います。


神社やお寺に金品を奉納するという行為は昔からあったわけですが
先人達ははたして御利益を期待してそのような行いをしたのでしょうか。

もちろん 崇敬するということは加護を願うという意味愛もあったと思います。

ただ、、思うのは先人達は知っていたのではないかと思うのですね。

見えない世界へ 自分にとって大切なものを差し出すという意味を。


それはただ御利益を願うという単純な行為ではなかったように思います。

見えない世界に

自分の大切なものや労力を無償でささげるということが

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さざ波のように 伝わって 伝わって そして また自分に返ってくる
というしくみを知ったいたのではないか
と、思うのです。


喜捨という言葉があります。
仏教用語なので、わたしが正確につかめているかどうかわかりませんが

金品を喜んで差し出すということで
それによって徳をつむ、、という行いなのかなと思います。
自分を純粋に捧げきるという行為は
実は 自分にいままで偏って滞っていたものを
スムーズに流すための行いでもあるのです。



スピリチュアル的(わたしはこういう表現が嫌いなのですけれど)見方からすると
まず空(くう)をつくらなければ エネルギーは入ってこない
という風にいいますよね。

エネルギーは循環します。

差し出したものが
帰ってくるのが理屈です。

純粋な見返りを求めない行為、エネルギーというのは
今までの自分のエネルギーを浄化しつつ
さらにそれが高まって帰ってくるという流れをつくるのではないかと
わたしは 思います。


たとえば わたしの場合ですと
できるだけ そういう気持ちで
少しではあっても 捧げるということをしています。

また 神社関係の施設が修復や造営の資金が必要であったり
土木工事などが必要であったら
いくらかでもその費用を負担させていただきたいと思います。

これは そういった喜捨の気持ちから
というのもあるのですが
もう一つ理由があります。


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神社やお寺というのは
土地の龍脈上に立っているということがよく言われます。

先人達は この場所がよい、ということを
感覚的にしっていたからこそ
その地を聖地として整え
祈りを捧げることで
その地を整え 守ってきたわけです。


もちろん自然の気がよい場所ですから
ととのえなくても 聖地として生きるかもしれません。

でも、、
そういう気は時に強すぎることもありますし
気が整わなくなることもあるわけで

そこを
長らく 祈りの力で整えてゆく という行いはとても深い意味があると思うのです。


もともとの気だけでなく

後から 連綿として続けられた祈りの力もまた
場をつくってゆくのです。

もしその地が整えられなくなったら
どうなるのか

祈れる人もいるかもしれませんが
祈れなくなる人もいるでしょう

誰もが
祈れる場である ということは
そこを守ってくださる人たちのお力もあるわけです。


だから わたしは
神社やお寺にいったとき
その地を守って頂けることに感謝をしながら
少しでもいいから 差し出すことを心がけています。


残念なことに
最近はパワースポットなどという表現が流行り、
場所の気をただただ奪い取ろう むさぼろう という人が増えました。
とても残念なことです。


むさぼる気持ちや すさんだ気持ちを聖地においてくるという行いは
結果としてその人に帰ってくるでしょう。

むさぼりやすさんだ気持ちは
いわゆる 穢れにあたると思います。

その穢れが積み重なって
その場のエネルギーを枯渇させるという
状況も招いていることを
無視するわけにいきません。


もし本当に自分の霊性を高め
またこの地 この国の霊性を高めたいというお気持ちがあるのなら

どうぞ
ご自分を純粋にささげる というお気持ちをもって
聖地に詣でていただきたいのです。

決して高所から申し上げるわけではなく

一人でも多くの方が
そのような自覚をもって
ご自分自身が聖地を守るというお心をもっていただけたら

きっと
現実の世界もすこしづつ変わってゆくのではないかしらと思うがゆえなのです。


誰もが変化を起こせますし

現実を変えてゆく力があります。

そのお力をどうぞ発揮していただきたいと思います。




posted by 明日処 at 22:10| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月10日

失われた色をもとめて

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こんばんは、深禮です。

この写真はお山の神社の宝物殿の前にある
畠山重忠公の像です。

畠山氏が奉納したと伝わる
赤糸威大鎧(あかいとおどしのおおよろい)
宝物殿にあります。

この鎧は神宝として長く内陣にあったらしく
非常に状態が良い物です。

江戸時代には吉宗がこの鎧を見ることを所望して
神社から江戸城に貸し出した記録も残っています。

そして明治時代には国宝に認定されました。

この鎧の朱の色について
今日20時からBSプレミアム(NHK)で取り上げられると
聞いたので急いでUPしています。

註:途中から見てみたのですが
なんだか出ていなかったかも。。。

勘違いでしょうか。。
すみません。

今日もお山の神社でご奉仕でした。

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とても霧が美しかったです。

本当は
神社やお寺への浄財について
お話ししたかったのですが

今日は急いでUPなので
ここでいったんやめておきます。






posted by 明日処 at 20:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする