2017年06月26日

作用 反作用

こんばんは、深禮です。

最近 似たような内容の記事になってしまって

ちょっと反省です。



気学の手法をつかってプロジェクト発動中なのですが

その反作用で いわれなきことを言われてしまう、という

反作用がついてきていて

そのことは覚悟してはいるのですが

反応してしまう自分を反省。


スルー技術をみがく必要ありですね。

「それは 嫉妬してるんだよ」

と指摘されて

あ、そういうことか、、と気づかされたり。


いままでの自分ですと

自分が気がつかない点を指摘して頂いてるんだと

大まじめにうけとっていたのだけれど

違う場合もあるんだね。。と

ようやくこの年できがつく(笑)


しかし、、

ようやく忌中があけまして

神棚に祈れるのでありがたいです。

これからは

自分自身を浄化するのが
より楽になるので。



実は講話の会の2日前に

お稽古場で荷物を持とうとしたとたん腰をいためて

当日も不安をかかえて、

そろそろと動いていたのです。


ところが

舞の翌日 腰痛って何??

っていうくらい 

まったく痕跡無くなおってまして。


そのとき はっと気がついたんですね。

いつものお仕事のときと同じじゃないかって。

実はいつもお仕事を受けるメールをいただいた時から

身体で色々受け取るのです。


そこからもうすでに私の仕事は始まっているんですが

今回の舞(ボランティアですが(笑))も

同じで、、。

たぶん 場の浄化というか

あつまるエネルギーの浄化を

事前に引き受けていたのだと思われます。


通常なら

神棚に祈れるので

軽くすむけれど

今回は、、前日まで忌中でしたから。。


神社で舞わせていただくときには

もっと事前に

食事や生活を整えて

前日は
齋宿にとまることまではもちろんないのですが
それでもできるだけ身をととのえて
お宿にとまって、、、。

当日の朝 潔斎をして 
もちろんいつも通り水垢離をとってから
神社にあがらせていただく。。

というような
非常に意識集中して舞わせていただくのですが


ですので
そういった 身体で受け取る的なことはありません。
(すくなくとも気がつかない)


でも、、
今回は忌中という事情がありましたので
なかなか。。


今後の参考にしてゆこうと思います。

経験というのはいつでもありがたいものです。


今回

いつもの拝殿(弊殿??)以外で舞わせていただくという
貴重な体験をさせていただき
うれしかったです。


ありがとうございました。
posted by 明日処 at 21:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今ここにフォーカスする


最近思うのは

自分を信じるということ。

なにか一方的に人から批判を受けた時。


もしかしたら

それは その人が見ているわたしであって

私自身ではないかもしれないと感じるときがあります。



たとえば
私に向かって話をされた内容を
その場で聞いていた方が
わたしと同じような感覚をいだくような時
ですが、、。

基本的にはありがたく頂戴するのですが。。


もちろん 一度はひきとって考えてみるけれど
どう考えても 勘違いだろうと思うことまで
引き受けるのは 
かえって、自分を傷つける行為となります。

自分自身が神仏にむかって羞じない心であるならば
それを否定されても
それはありがとう、で終わらせて
次に行けばよいのではないかということです。


今日ご縁をいただいて出あったお方からも
まさに、ちょうどそんな話をいただいて

やっぱりそれでいいんだな、、と思ったところです。



人がみている姿は
その人の何かが投影されている。
ことが多い、とわたしは思います。


投影からまったく自由になることが理想だけれど
多くの場合それはできていない。
(私自身も含めて。。)


人はたいてい
いままで出会った人がこういうことをする人はこうだったから
とか似た様なシュチュエーションではこうだったからという経験から
目の前の人を判断していることがほとんど。

あるいは
ステレオタイプな常識から判断するとか。

それとこれとは微妙に違うというその感覚に気づくより
今までの経験からの単純な思考を重視する。

でもそれはありのままの目の前のその人、ではないのですよね。



過去の経験も 未来への不安もすべて切り離し

まったく 今目の前の現在のその人を

あるがままの素直な心でながめたとき

かぎりなくその人本来の姿に近いエネルギーを
感じることができるんだと思うのです。

でもね、、実際そういう人は多くはありません。

それはわたしだって自信がなくて
あらたまってお話を伺う時は別ですが
日常のどんな場面でもそれができる
というのを
目指そうと思います。




ほんとうの自分を知っているのは
自分自身。


自分の心の声にしたがって
魂の声にしたがおうと思いました。

逆に
魂の声を裏切っては
相手に対して失礼
なのかもしれません。

ただ 相手にたいしては
ありがとう

それでいい。

それで先にゆく。



そして

いつどんな時でも
今 ここ にフォーカスすること

自分自身に対しても
目の前のすべてに対しても。

過去でもなく
未来でもなく
目の前のあなたを大切にする
今ここの自分自身を大切に感じる。

そのことの重要性を
あらためて気がつかせていただいた
機会を
いただきました。


ありがとうございます。


posted by 明日処 at 09:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月25日

再会への感謝

こんばんは、深禮(みれい)です。

昨日はほんとうに色々な方に再会させていただけて、てうれしかったです。
(日本の神道文化研究会の講話の会でした)

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ずっと気に掛かっていた
古いお知り合いの方々。
お元気かなと思っていたので
お顔をみられて安心いたしました。
また機会がありましたらご一緒したいです。

そして御岳でであって
筑紫舞の御奉納にもおこしくださり
今回の会にもお越しくださった御方。
ありがとうございます。
舞のご感想、はげみにさせていただきます。

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そして、、

わたしがK大学で学んでいたときに
同期生だった方に8年ぶりに再会できたのは
感激しました。

その方はK大で出会った時にはすでに
僧侶として修行をおさめられた方で
さらに神道を学びにこられていたのですが
K大卒業後さらに学びを深められて
そして今 またお山に戻られご修行中でおられるとのこと。

さらにご立派になっていました。


色々お伺いさせていただきたいことがあって
短い時間でしたがもう直接的にお話をさせていただきました。

お話をしていると
少し大学の頃の気持ちがまたよみがえったり。

ほんとうにありがたい時間と機会を頂戴しました。

ありがとうございます。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。


日本はもともと神仏習合でやってきた時間が長いです。

わたしももっともっと
仏教について学びたいと思っていた矢先のこの流れ。

ほんとうにありがたかったです。



posted by 明日処 at 21:54| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月24日

講話の会 ありがとうございました。

今日の講話の会

無事おわりまして

まずは御礼のご挨拶まで申し上げます。


ご参加をくださいました方々

ありがとうございました。


小さい会場で

はじめての場所で舞う、ということで

緊張はあったのですが

なんとか。。

おかげさまにて。


しかし、、

舞は気持ちがいいです。


外からどう見えるとかは

関係ない世界になっていって。


ただ 神さまと自分だけ。


そういうところをひたすら目指すので。



ときおり

舞いたい病がでてくるのですが

そういうときは

浦安の舞ですと

たいてい扇の「めぐる」ところ。

あそこが舞いたくなります。


簡単そうなのですが

けっこうむずかしい。


筑紫舞の先生もおっしゃっていました。

舞っていると整うと。


ほんとうにそうなんですよね。


おわったばかりですが、、

舞いたいです。

もっともっと。

神さまにむかって まっすぐに。



今日は久しぶりにお目にかかれた方々もいらして

そういう面でもとてもうれしかったです。

くわしくは 後日。

とにかく ありがとうございました。



去年の12月 三橋先生の三峰神社での大会のおり

ようやく

神主になりたいんです

と、はじめて口にすることができて。

それまでも 思っていたけれど

思うたびにあきらめていて。

先生を前に口にしたのは 初めてでした。

そこから 色々な方にも言うようになりましたが。。


でも

それって

もっともっと 神さまのそばに

長時間いたい。

ということなのかもしれない、、とも思います。


物理的にそばにいられないなら

エネルギー的に

いつでも

そばにいられる

一つであることができるように なりたいと思います。


都会の雑踏をあるいていても

いつでも 常に。


一瞬たりとも

心をそらさず。


毎日 修行だなぁ。。



ぜったいぶれたくない。

そのために 捨てるものは 全部すてようっと。


今日はあらためて

そんなことも思いました。

貴重な機会をありがとうございました。

posted by 明日処 at 22:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月23日

やっぱり 神さまが好き

「死ぬか生きるかの経験をした方がいい」

何度もそう言われた時期があって

そのたびに、

いや、、

できればそれはご遠慮させていただきたい、と思っていた。


今はもちろん

なぜそんな経験をした方がいい

と言われたか

おそらくわかっている、、つもり。


その後

病気を通して

つねに

病気の急速な病変がいつおこるか

どうころぶかわからないなかで

よい方向へと向かうことを信じ続ける日々をすごし、

自分にとっての神仏にたいする姿勢がかわっていったので、


なんとなくだけれど

なぜ 生きるか死ぬかの経験が必要なのかは

少しわかったような気がしている。



でも でもですね。。

やっぱり

人間の霊さんたちとかかわるお仕事で

そういう経験はしたくないな、、、。


と、いうのが本音です。



最近 なぜか 

気がつくと そういう案件とかかわっているケースが

増えてきていて


いや、、わたしは神巫(かんなぎ)で、

神仏の言葉を伝えるのが仕事なので

人間の霊さんたちは

ちょっとご遠慮したい。。。

こまったな。

この傾向が続いたら

思っているのと違う方向にむかってしまうのでは。。

と、かなり焦って

しかも

なぜか 対処能力が以前よりUPしている自分自身に対しても 

内心の動揺と戸惑いはかくせず。。




でも やっぱり

選べないのかな。。


なにごとも

はい、よろこんで。なら。



昔(怖い話が苦手な人はスルーお願いしますm(uu)m)

秩父の札所の某お寺でスケッチした観音像を墨絵にして

枕元にかざっておいたのだけれど

そのお寺は昔から 水子供養のお寺だったと後から知りまして。。

そのせいなのか

ある晩に金縛りにあって

わたしの上に さるぼぼ(ってわかりますか?? 飛騨高山のお土産)みたいな

赤ちゃんの霊の集合体がのっかっていて

口ふさがれて、首をしめられました。

気が遠くなって

あ、、このままだとまずい。。と思ったのだけれど


(この命をもっていってそれで楽になれるならいいよ。)という感じで

差し出したところ


急に そのさるぼぼくんが

わたしをなでなでしてくれるような感じになった 


という経験がありました。

このこと自体

たいした経験ではないので

なんとなく お話をしたところ


「よく それができたね〜」とにこにこされて。


あ、、それで良かったんだな。と。

そしてその後さらに 

つっこんだ話を色々教えていただいたのだけれど


そこは 割愛。



このケースはわりと安全なケースなんだと思うのだけれど
(もっとまずかったケースもあったのですが、、、。)

ようするに


見えない世界と交わってゆくときは

自分の命にしがみついてはいられないってことなんでしょう。


でも

だからこそ

かかわるなら

神さま事がいいんですが。。


たぶん 神さまの方がおそろしい、と思う。

それはわかってる気がする、、つもり。

しかし

人間の霊的なことで 命のやりとりするところまでは行ってないからかな。。

その怖さはわかっていない、とは思う。


いや、、
それでもやっぱり神さまはこわいです。


わかっていても

なぜか 神さまが好きで好きでしかたがない。

ずっとずっと

いつも つねに 神さまとともにいられる在り方とは

どういう心の姿勢かって

試行錯誤してきた。

いつも 一つでいたい。

そう思って

ずっとずっと模索してきました。



どうしても 好きで。

どうせ 命をかけて行わなければいけない、といわれるなら

神さま事の世界で

やってゆけたらいいな。。と思う。


あ、、なんかすごいこわいことを書いてしまった。

でも 選べないんだろうなぁ、、やっぱり。


こういうことって

考えても仕方の無いことなんだろうな。。


ようするに

やっぱり 神さまが 好き っていうお話なのかも。




posted by 明日処 at 21:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする